旅好きのメモ

旅好きの筆者が日本から簡単に行ける海外の見所をメモ

ポロナイスク~50度線の見どころメモ

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かつて日本統治時代には敷香(しくか/しすか)と呼ばれていた、サハリン州東海岸にある町です。このコーナーでは、ポロナイスクから50度線までの幹線道路沿いにある主要な見どころも併せて紹介していきます。

 

ポロナイスク郷土博物館

ポロナイスクの地元自治体が運営する博物館です。日本統治時代の敷香神社の狛犬が玄関で出迎えてくれます。館内では、この地の少数民族についての展示や、日本統治時代の展示なども見ることができます。

 

大鵬幸喜

日本統治時代に敷香で生まれたのちの横綱大鵬幸喜を記念して建てられた銅像です。銅像は、北海道で制作されてポロナイスクに建てられたもので、北海道とサハリン州の友好を物語る場所となっています。

 

(旧)王子製紙敷香工場

かつての王子製紙の工場跡です。

 

レオニドヴォ英雄記念墓地

ポロナイスク北方の町レオニドヴォ(上敷香)にあるソ連側の英雄2名の墓地です。北緯50度線からの南樺太侵攻作戦を成功に導きながらも樺太の戦いの終結を見ずに戦死した指揮官スミルヌイフと上級軍曹ブユクリーが眠っています。

 

(旧)スミルヌイフ空軍基地

 
 
 
 
 
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レオニドヴォよりさらに北にある町スミルヌイフ(気屯)にある、冷戦期に使用されていた空軍基地です。1983年の大韓航空機007便撃墜事件の際は、ここスミルヌイフ空軍基地から離陸したMiG-23と南部のソコル空軍基地から離陸したSu-15により007便が撃墜されました(前者が警告射撃、後者が撃墜)。

 

ソ連軍集団墓地

 
 
 
 
 
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スミルヌイフの北方にある町ポベジノ(古屯)にあるソ連軍の集団墓地です。古屯は大戦末期の激戦地となった場所で、ソ連側にも大勢の犠牲者が出ました。

 

樺太・千島戦没者慰霊碑

 
 
 
 
 
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ソ連軍集団墓地の奥にある日本側の戦没者慰霊碑です。激戦地となったここ古屯だけでなく、現在のサハリン州にあたる地域、樺太と千島で亡くなった戦没者を慰霊する目的で建てられました。

 

(旧)古屯兵舎弾薬庫

 
 
 
 
 
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樺太・千島戦没者慰霊碑よりもさらに奥に進むとある、かつての日本軍の弾薬庫だった建物です。ここ古屯兵舎は古屯の戦いの最激戦地となった場所で、日ソ双方に多くの犠牲者が出たことで知られています。

 

日ソ平和友好の碑

 
 
 
 
 
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かつて古屯まで進軍したソ連軍の侵攻ルート沿いに建てられている記念碑。日ソの友好を願い日本の市民団体が設立したもの。

 

(旧)半田陣地

 
 
 
 
 
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1945年8月11日未明のソ連軍の侵攻開始ののち、樺太方面で日ソが初めて戦闘を行った場所。日本の国境守備隊と歩兵を合わせた約100名が半田陣地で奮戦、この地で約1日の時間を稼いだうえで総玉砕したと伝えられています。

 

旧国境の碑

 
 
 
 
 
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北緯50度線の近くにある、日本の国境の標石のそばに建てられたソ連の戦勝記念碑です。ロシア帝国の時代に日本に「奪われ」、ソ連が1945年に「奪還した」ことを記念したもの。

 

※随時更新しています。