旅好きのメモ

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【メモ】モンゴルの首都ウランバートルを知ろう

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モンゴルに行くなら確実に訪れることになるのが、首都ウランバートルです。モンゴルを訪れる主な理由としては、「自然を味わいたい」「モンゴル帝国の原風景を訪ねたい」といったものだったりするのではないでしょうか。

 

そうなってくると、モンゴル帝国(および分裂後の元朝)の滅亡後に、チベット仏教化身ラマを敬う人々が集まって出来た町ウランバートルは、恐らくは旅の理由からは少しずれてくるのかな、と思います。

 

しかしながら、モンゴルの人口のおよそ半分近くが住むここウランバートルは、今のモンゴルという国の成り立ち、そして現代のモンゴル人の習慣をきちんと知るうえでも、きちんと時間をとって見て(知って)おくべき町です。

 

というわけで、今回は、ウランバートルを、時代別に分けて紹介していきます。

 

【帝国時代】

先程、ウランバートルモンゴル帝国(厳密には元朝)の滅亡後にできた町だと紹介しましたが、モンゴル人に聖山として神聖視されてきたボグドハーン山には、帝国時代に刻まれた壁画や碑文が残されています。元の時代の女性が描かれた貴重な壁画は、ぜひ見ておきたいところです。

 

【宗教都市時代】

ウランバートルの起源となるイフ・フレーは、モンゴル国内のチベット仏教化身ラマジェプツンダンバ・ホトクト」を敬う人々が集まってできた移動都市でした。ウランバートル市内には、イフ・フレーの周りに出来たチベット仏教寺院が今も機能を続けています。特に、その中でも最大規模のガンダン・テクツェンリン寺は必見です。

 

【ボグド・ハーン政権時代】

8代目のジェプツンダンバ・ホトクト、本名ガワンロサン・チューキニマ・テンジンワンチュクは、中国の辛亥革命に乗じて1911年にフレー(現ウランバートル)でボグド・ハーンの名で戴冠、大モンゴル国の独立を宣言しました。ボグド・ハーンの治世は1924年崩御まで続きましたが、ボグド・ハーンの夏の宮殿はのちに破壊されましたが、今も冬の宮殿はボグド・ハーン宮殿博物館として残っているので、ぜひ見学してみてください。

 

社会主義時代】

1921年、モンゴルの独立活動家が赤軍の支援を受けて北から進軍し首都を制圧、中国からの完全な独立を成し遂げたことで、モンゴルは社会主義国としての歩みを始めることとなりました(1924〜1992年)。首都フレーは現名称のウランバートル(赤い英雄)に改称し、ソ連風の中央広場であるスフバートル広場が整備されました。社会主義時代に設立された国立博物館(当時は革命博物館)や、市内を見下ろす記念碑ザイサン・トルゴイは必見です。

 

民主化後】

一党独裁社会主義を放棄したモンゴルは1992年に現国名のモンゴル国へと改称、社会主義時代には日の目を見なかったチンギス・ハーンの業績が国内で見直され、大統領宮殿には新たにチンギス・ハーンをはじめとする偉大なハーンの像が設置されました。市場経済の進展とともに経済発展が進んでおり、市内中心部のチョイジンラマ寺院(1908年創建)と高層ビル群のコントラスト、それから前述のザイサン・トルゴイから見る市内の風景から、近年の急速な発展の様子を感じることができます。