【メモ】極東ロシア②ハバロフスク地方
極東ロシアのハバロフスク地方についてのメモです。
かつて日本から直行便も飛んでいた極東ロシア最大の都市ハバロフスクなど、ハバロフスク地方の都市の情報をまとめました。
ハバロフスク
極東ロシア最大の都市
【由来】清が太平天国の乱(1851~1864年)やアロー戦争(1856~1860年)で弱体化するなか、1858年にアムール川沿いに築かれた監視所を起源とする(当時は清の領土だった)。町の名前は「ハバロフの町」を意味し、かつてこの付近に要塞アチャンスクを築いた探検家ハバロフに因む。
コムソモリスク・ナ・アムーレ
ハバロフスクの北東にある第二の都市
【由来】1932年にコムソモール(共産党青年組織)や政治犯を動員して建設が開始された工業地帯を起源とする。名前は「アムール川のコムソモールの町」を意味する。
アムールスク
コムソモリスク・ナ・アムーレの南郊外にある第三の都市
【由来】1958年にパルプ工場の従業員のために建設された町。名前は「アムール川の町」を意味する。
ソヴィエツカヤ・ガヴァニ
コムソモリスク・ナ・アムーレから南東に位置する間宮海峡沿いの町(1922年まではインペラトルスカヤ・ガヴァニ)
【由来】1853年に天然の良港として開発が始められた港湾都市。1922年に赤軍が極東ロシアを獲得したあと、皇帝の港を意味する旧名から「ソヴィエトの港」を意味する現名称に変更された。
ヴァニノ(ワニノ)
ソヴィエツカヤ・ガヴァニのすぐ北にある間宮海峡沿いの町
【由来】1907年にソヴィエツカヤ・ガヴァニ(当時のインペラトルスカヤ・ガヴァニ)の北に新たに建設された港湾都市。この地を測量した地形学者のワーニンに因み「ワーニンの集落」を意味して名づけられた。
ニコラエフスク・ナ・アムーレ
コムソモリスク・ナ・アムーレの北東にある町(1926年まではニコラエフスク)
【由来】1850年に探検家ネヴェルスコイにより建設された哨所を起源とする(当時は清の領土だった)。1856年に沿海州の設置と併せて州都に昇格した。現名称は「アムール川のニコライの町」を意味する。
オホーツク
ニコラエフスク・ナ・アムーレよりさらに北のオホーツク海の沿岸にある町
【由来】1647年にコサックが越冬のために設置した宿舎を起源とする、太平洋側で初めて築かれたロシア人の町。名称は「オホータ川の町」を意味する。