ニコラエフスク・ナ・アムーレの見どころメモ
沿海州が設置された際に、ハバロフスクやウラジオストクに先んじて州都となった町です。シベリア出兵の時代には、日本では尼港の名で知られていました。日本の国内世論を騒がせた赤軍パルチザンによる惨殺事件として知られる尼港事件(1920年)の舞台となった町として知られています。
【アクセス】ハバロフスクから国内線で訪問するのが一般的ですが、夏季にはコムソモリスク・ナ・アムーレから船でアクセスするのも人気。
※随時更新しています。
赤軍パルチザン元本部
1920年に町に侵入した赤軍パルチザンが本部として利用した建物です。その脇にあるネヴェリスコイ灯台(1967年設置)があります。
ゴルブゴフ記念碑
アムール川沿いにあるソ連の英雄ニコライ・ゴルブゴフ(1920〜1945年)を追悼するモニュメント。ゴルブゴフは、1945年8月9日の対日戦開戦直後に撫遠(ハバロフスク対岸の中国の町)で戦死した人物。
聖ニコライ像
町の名前の由来となった聖ニコライの像です。横には戦没者を悼む「哀悼の母」の像、反対側には1942年に命を落とした潜水艦乗員の碑などがあります。
郷土博物館
ニコラエフスク・ナ・アムーレの歴史などを紹介した博物館です。建物はニコラエフスクで事業を営んでいた島田商会の建物(1920年の尼港事件で焼失、後に再建)を利用したもので、日本とのゆかりの深さが感じられます。
ネヴェリスコイ像
ニコラエフスク・ナ・アムーレ建設の父、探検家ネヴェリスコイの像です。彼が1850年にこの地に哨所を築いたのが町の起源となります
桟橋
ネヴェリスコイの像の奥に見える木造の桟橋は、尼港事件(1920年)で邦人とロシア人住民が赤軍パルチザンによって惨殺された悲劇の場所として知られています。パルチザン側の指導者トレピーチンが日本軍による本部急襲で負傷、これに激怒して日本人住民らの抹殺を命令したと言われるこの事件は、革命政府によるトレピーチン処刑ののちも日ソのわだかまりの原因であり続け、日本は北部サハリンを1925年まで保障占領することとなりました。
聖ニコライ教会
1858年に建てられ、老朽化で失われたあと、2002年に新たに建てられたロシア正教会の建物です。