旅好きのメモ

旅好きの筆者が日本から簡単に行ける海外の見所をメモ

極東ロシアの都市を年代順に並べてみた

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〈東方進出〉シビル・ハン国の滅亡(1598年)

 

サハ共和国ヤクーツク(1632年)

ハバロフスク地方】オホーツク(1647年)

【ザバイカリエ地方】チタ(1653年)

【ザバイカリエ地方】ネルチンスク(1653年/1654年)

ブリヤート共和国】ウランウデ(1666年)

 

〈清露国境紛争〉ネルチンスク条約(1689年)

 

ブリヤート共和国】キャフタ(1727年)

【カムチャツカ地方】ペトロパブロフスク・カムチャツキー(1740年)

サハ共和国】レンスク(1743年)

 

〈東シベリア総督の任命〉(1847年)

 

ハバロフスク地方】ニコラエフスク・ナ・アムーレ(1850年

ハバロフスク地方】ソヴィエツカヤ・ガヴァニ(1853年)

サハリン州コルサコフ(1853年)

アムール州】ブラゴヴェシチェンスク(1856年)

ハバロフスク地方】ハバロフスク(1858年)

沿海地方】ダリネレチェンスク(1859年)

 

沿海州の獲得〉北京条約(1860年

 

沿海地方ウラジオストク1860年

アムール州】ベロゴルスク(1860年

沿海地方】ナホトカ(1864年

沿海地方】ウスリースク(1866年)

サハリン州】アレクサンドロフスク・サハリンスキー(1869年)

サハリン州】ポロナイスク(1869年)

サハリン州】ホルムスク(1870年)

 

樺太千島交換条約〉1875年

 

サハリン州】ティモフスコエ(1880年

サハリン州ユジノサハリンスク(1882年)

サハリン州】ドリンスク(1884年

サハリン州】アニワ(1886年

沿海地方】スパッスク=ダリニー(1886年

 

シベリア鉄道建設開始〉1891年

 

サハリン州】マカロフ(1892年)

ハバロフスク地方】ヴャーゼムスキー(1894年)

ハバロフスク地方】ビキン(1895年)

沿海地方パルチザンスク(1896年)

沿海地方】ダリネゴルスク(1897年)

沿海地方】アルセーニエフ(1902年)

【ザバイカリエ地方】ザバイカリスク(1904年)

 

日露戦争での敗北〉1905年

 

サハリン州】オハ(1908年)

ユダヤ自治州】ビロビジャン(1915年)

アムール州】ティンダ(1917年)

サハ共和国】アルダン(1923年)

 

スターリンが最高指導者に〉1924年

 

沿海地方】アルチョーム(1924年

【マガダン州】マガダン(1929年)

サハリン州】ノグリキ(1929年)

ハバロフスク地方】コムソモリスク・ナ・アムーレ(1932年)

沿海地方】レソザヴォーツク(1932年)

ハバロフスク地方】ワニノ(1943年)

沿海地方】ボリショイ・カーメニ(1947年)

 

スターリンの死去〉1953年

 

サハ共和国】ミールヌイ(1955年)

ハバロフスク地方】アムールスク(1958年)

沿海地方】ルチェゴルスク(1966年)

ブリヤート共和国】セヴェロバイカリスク(1974年)

サハ共和国】ネリュングリ(1975年)

 

以上から、一部の例外を除けば大半が19世紀半ば以降に建設されたことがわかります。一番古い主要都市はヤクーツク、一番新しい主要都市はネリュングリと、どちらもサハ共和国にあるのがまた面白いです。

 

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いかがだったでしょうか。

 

ざっくり言うと、ロシアは近代にアメリカが台頭するまでは世界最大の毛皮供給国であり、ロシア人はその原料となる動物を求めて川沿いに東へとどんどん進出し(探検家とコサック中心)、19世紀半ばからは東アジア情勢の変化に付け込んで極東での南下を推し進め(政府による介入の強化)、ソ連時代になると極東ロシアの鉱山開発や工業化、鉄道網の整備などを推し進めた(主にスターリン時代)、というのがここからよくわかります。

 

サハリン州の町の年代については、幕府や松前藩が交易の拠点を置いた年については言及していないものの、ロシア人が入植を開始するよりも前から、コルサコフやネベリスクなど50度線以南の北蝦夷地には、日本側の先住民との交易拠点があったことは最後に触れておきます。