旅好きのメモ

旅好きの筆者が日本から簡単に行ける海外の見所をメモ

ウスリースクの見どころメモ

f:id:kentravel:20211212214428j:plain

沿海地方ウラジオストクに次ぐ都市で、中国や朝鮮半島からの鉄道が到着する交通の要衝として発展し、朝鮮半島独立運動にもゆかりのある町です。ウラジオストクからシベリア鉄道に日帰りで乗車したい方に人気があります。

【アクセス】ウラジオストクからシベリア鉄道またはバスに乗車。

 

※随時更新しています。

 

レーニン

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Лидия(@li_diia1283)がシェアした投稿

鉄道駅を出てすぐ目に入る銅像です。駅舎と同様、ソ連時代の名残として重要な史跡。

 

鉄道労働者慰霊碑

鉄道駅を出て右に進むとある、大祖国戦争独ソ戦)に駆り出された鉄道労働者の戦没者慰霊碑です。

 

機関車基地労働者慰霊碑

鉄道駅を出て左に進むとある、ロシア内戦と大祖国戦争独ソ戦)で命を落とした機関車基地の労働者の慰霊碑です。

 

ЕЛ-629記念機関車

1917年にアメリカで製造された機関車で、セルゲイ・レゾなどの赤軍パルチザンがこの中で処刑されたことで知られています。

 

工場労働者戦没者慰霊碑

大祖国戦争独ソ戦)に駆り出された油脂工場の戦没者慰霊碑です。

 

少年パイロット慰霊碑

大祖国戦争独ソ戦)に航空部隊として駆り出されて戦死した少年たちの慰霊碑です。戦没者が計2000万人に上った当時のソ連の悲惨な状況が伝わってきます。

 

ウスリースク攻防戦戦没者慰霊碑

1918年7月1日から7月6日にかけてのウスリースクの市街戦で犠牲となった赤軍の犠牲者を追悼する慰霊碑です。

 

ドラマ劇場

 
 
 
 
 
この投稿をInstagramで見る
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

Белов Алексей(@belov.ale)がシェアした投稿

ソ連時代に建てられた舞台劇場です。もともとは1940年に建設が開始され、大祖国戦争独ソ戦)勃発による中断を経て、戦後になって日本人抑留者を動員して建設が再開され、1954年に完成しました。

 

亀趺

金の時代に女真族(のちの満州族)によって築かれた贔屓(ひき)の像です。贔屓は中国の伝説上の動物で、中国各地でも見ることができますが、こちらはロシア国内(しかも市街地)に残る珍しい例。

 

崔在亨記念館

1920年まで抗日闘争を続けた朝鮮人独立運動家の崔在亨が住んでいた邸宅です。朝鮮総督府伊藤博文を暗殺した安重根らを支援し、韓国臨時政府の初代財務総長となった人物で、私たち日本人よりは圧倒的に韓国人観光客と国内観光客向けといった印象。朝鮮半島とロシアの関係の深さが感じられる場所。

 

ウスリースク演劇劇場

1908年に完成し、1909年に初演が行われた極東ロシアでも歴史的な劇場です。

 

運転士戦没者慰霊碑

市内中心部にある、大祖国戦争独ソ戦)に出征した運転士たちの慰霊碑です。

 

レーニン母子像

市内中心部にある、幼少期のレーニンと母マリアの像。雄々しいレーニン像とはまた違った印象を受けるので是非見ておきたい。

 

生神女庇護教会

1914年に建てられたロシア正教会の建物です。宗教活動が厳しく制限されたスターリン時代の1937年に一時閉鎖されるも、のちに1946年に活動を再開。多くの(極東ロシアに限ればほぼ全ての)正教会の建物が破壊されたスターリンの大粛清を生き延びた珍しい建物。

 

ウスリースク博物館

ウスリースクの歴史を紹介する市立博物館です。入口そばには、大祖国戦争独ソ戦)で戦死した兵士らを追悼する永遠の炎が設置されています。

 

運転士戦没者慰霊碑

市内西部にある、大祖国戦争独ソ戦)に出征した運転士たちの慰霊碑です。中心部のものより大規模。近郊には、1920年4月4日~5日にかけての戦闘で戦死した170名の赤軍兵士を追悼する慰霊碑、そして道を挟んで1920年4月5日の日本軍との戦闘で戦死した赤軍パルチザンの慰霊碑もあるので、これらも併せて訪問したい。